完璧でなければ許せない! ~そんな貴方への問いかけがあります⁉~

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こんばんは
悩みすっきりカウンセラーの山本記大です。

数ヶ月間、記事の投稿についてお休みをしていました。
その間、記事を書きたいという気持ちがなく、仕事や社会情勢の勉強に時間を使っていました。
今回は『〇〇でなければ許せない』 『完璧でなければ許せない』について書きます。

事例①

『〇〇でなければ許せない』 『完璧でなければ許せない』
思うことがある僕も他人事ではありませんが、それでもこの記事を投稿したいと思った理由があります。
完璧さ・100%を追求するあまり、生き方・心の柔軟性を失って思考停止や何かに盲目的になっている人が
周囲に増えてきているように感じたからです。

例えば、新型コロナウイルス感染症ワクチン。
去年2021年地点では、『ワクチン接種が普及すれば、社会情勢が今一度良くなる』と言われてきました。
しかし、現地点では3度目のワクチン接種がCMや報道・政府広報で勧められている中で感染者報道が今も
続いており、社会不安が解消されているとは言い切れない状態です。
3度目接種が普及している中で、今度は4度目接種の話が出ています。
いったい私たちはあと何回接種し続ければ良いのでしょうか? 僕はそのように感じます。
(そもそもワクチンは新たな変異株が出てきたら、その変異株には効果ゼロとされる)

もはや何回接種しても完璧にはなれないと言っているようなものかもしれません。

事例②

2つ目は、
何かできなかった時に、できなかったものについて意味がない・価値がないと決めつけることです。
これは、できなかった自分に批判・否定の矛先が向かないように責任転嫁する心理があります。
できないことについて後ろめたさがある証拠です。

私は悪くない   ・悪いのは〇〇
私はダメじゃない ・ダメなのは〇〇
私は間違っていない・間違っているのは〇〇 など…このようなメッセージを発信しています。

できる・できないは1つの事実です。
それに対して良い悪いと考えることは解釈です。
この解釈が自分や周囲の人たちの人生に影響を与えるのです。

事例③

3つ目は、最近名古屋市内にある大須商店街にできたお菓子屋で思ったことです。
お菓子屋に陳列されている『訳アリせんべい』を見てみると、
『せんべいが欠けているため定価より〇〇%安くしています。』と張り紙が貼られていました。
僕は、別に欠けていてもせんべいの味が変わるわけでもないのにと思いましたが、
見た目にこだわるお客さんからすると、許せないのだろうとも思いました。

スーパーでも同じことです。私たちの目にする野菜などは味はもちろん、形の整った野菜が売り場に陳列
されています。少しでも形の良くない野菜は商品価値がないものとして、農家の方が廃棄処分することが
ほとんどです。
形が良くない=美味しくなさそう、お客様に対して失礼という考え方があるのでしょう。
この考え方を活かして商売にする考え方も、なるほどと思いました。

『〇〇でなければ許せない』 『完璧でなければ許せない』をやり続けるとどうなるのか?

完璧を追求しつづける姿勢は、使い方によっては『向上心』『好奇心』『追求心』『プロ意識』として
社会から評価されて認められることになるでしょう。
現に仕事において、高い理想や目標を掲げて期日までに達成することをよく求められます。
目標を達成できた=成功者、達成できなかった=敗北者と決めつけられる風潮は今も昔もあります。
未来将来も達成できることを求められるでしょう。

ただし、このような完璧主義・完全主義はどこかで『これで良し』『ここまでできれば大丈夫』と
折り合いをつけなければ終わりがありません。無限ループの状態です。

例えば、舞台に立って演技する役者が売れない原因は自身の容姿にあるかも知れないと考えた役者Aさんが
繰り返し整形手術を受けるようなものです。
確かに売れない原因が容姿であるならば、整形して解決できることもあるかもしれないです。
ただし、誰かの評価や声を聞いたときにAさん本人が満足できずにプライドが傷ついてしまったときは
どうなるでしょうか? あと何回手術を受ければ満足できるでしょうか?

だとしたら、どれだけ整形手術を受けてもAさん本人の『〇〇でなければ許せない』 『完璧でなければ許せない』完璧主義・完全主義のクセは、もっと言えば他人からの評価に怯えて自分のことを信じて受け入れることができないという根本的は問題は何も解決していないということになります。

これでは、
〇そのうちお金が尽きるか?
〇手術による副作用によって日常に影響が出るか?
〇人気を博したとしても、いつも自分への評価に怯えて容姿だけではなく他の部位の整形をするか?
〇あるいは心に限界がきて心の病にかかるか?

果たしてAさんの未来はどうなるでしょうか?

自分や他人を許すために今、必要なこととは?

そんな完璧主義を求められていたり、自分で求めなければならないと執着している現代人にぴったりな
考え方があります。
それは、『わび・さび』の考え方です。
簡単に言えば不完全のススメです。

※貧困や孤独の中にに心の充足をみいだそうとする意識。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ。人の世の儚さ(はかなさ)や無常を感じ取る美意識。 Wikipediaより。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3

どれだけ完璧を目指し続けようが、どれだけ富と地位と名声を手に入れようが寿命があります。
人の寿命は地球の長い歴史から考えたら冬の季節に感じる一瞬の静電気みたいなものです。

何も努力しなくていいと言いたいのではありません。
大事な何かのためには立ち向かうことも必要です。それだけでは心が壊れてしまいます。
人はどこかで『これで良し』『大丈夫』と心の中で許可を出すことで安らぎを欲しがっています。

欠けている部分があるからこそ、素晴らしいのです。
欠けているからこそ、人との関わり、歴史・文化・伝統・自然・動物・仕事・遊び・スポーツなどから
1つ1つ気づきを手に入れることができます。
はじめから完璧ならば、何をやってもつまらなくて飽きてしまいます。
世の中にいる人すべてが良い人ならば、感謝することを忘れるでしょう。
嫌な思いをして悲しんだり、苦しんだり、怒ったりするから感謝できるかも知れないです。
つまらなくて白けることがあるから、楽しむことができるかもしれないです。

嫌な思いをしてしまう主な原因は、必要以上に欲が深いからです。欲深いから執着します。
執着心が人にストレスを与えているのです。
欲は『生命・肉体・生活を維持するための必要最低限』で十分なのです。
自分を許し、他人を許すことで安らぎのある満ち足りた人生を送ることができるようになります。

みなさんは、『わび・さび』についてどのように考えますか?