ラーメン一杯🍜🍥に込めた情熱と壮絶な半生とは?

こんばんは

昨日は

倫理法人会の若手経営者向けセミナー『愛知県青年委員会主催 愛を知る愛知県で愛(仁)を知るセミナー

に参加しました!

印象的な講演者は

ラーメン屋から餃子居酒屋まで多方面で事業展開する

株式会社ベスト・モア代表取締役社長の

三木規彰氏でした。

『ご馳走があればみんな笑顔になれる!ご馳走を作ることは命を作ることだ!』

そのように語る三木社長について

書かせてもらいたいと思います。

ラーメン屋🍜を開業するまで

三木社長は1970年三重県桑名市

3人兄弟の第1子として生まれました。

父は経営者でした。

何不自由ない生活で楽しく学校生活を送っていた小学5・6年生のある日、いつもよりご飯のおかずが少ないことに気づきます。

その異変に気づいてからしばらくして、今度は電気が使えなくなります。

夜は昭和のドラマにでも出てきそうな『ロウソク暮らし』になることがありました。

そして中学になると怖いお兄さんから借金の取り立てがあって、必死でバレないようにひっそり暮らす日々でした。

原因は父の経営する会社の倒産でした。

それからは、少しでも家の足しになればと、アルバイトをするようになります。それと≪喧嘩ばかりしている両親と一緒に居りたくない≫という理由もありました。

三重県から愛知県名古屋市に出て一人暮らしするようになり、ホテルマンとして就職します。給与明細をもらって気づきます。『これでは大して実家に仕送りできない。これではいかん!』それから職場を転々とします。

実家に帰る楽しみの1つは、

『母をスーパーに連れていって両手いっぱいの食料を買うこと』でした。この時の母の安心しきった笑顔がたまらなく嬉しかったと語っています。

ところが父はいつも家で寝ているだけで、いつも引きこもりがちでした。そのことに腹に据えかねて寝室に怒鳴り込んだある日、ようやく父が引きこもりがちだった理由を目の当たりにしました。

それは『筋肉が痩せ細ってほぼ骨に近いほど衰弱しきっていたのです。(これ以上詳しく書くと読者の今日の食事に影響する可能性があるので省略します🙇)』

母に

『何でこうなるまで放っといたんや!』

すると母は

『うちにはお金がないから、お父さんを病院に連れていけないの。』

自分の姿を人に見られたくなくて弱りきった状態で抵抗する父を無理矢理担いで病院に連れて行きましたが、1週間後に息を引き取りました。

『今の雇われ社員の働き方では実家のためにやれることなんてたかが知れてる。何でもっと早くこの事に気づけなかったのか!何で早く父の状態を気づこうとしなかったのか!』

『働くだけではダメだ!!自分が今まで働いてきて一番好きなのは飲食の仕事だった。ならば自分の飲食店を持って仕事をしよう!!』

そう胸に誓ってお店の資金を貯めていた矢先に、父が亡くなってからうつ病だった母が突然家族が目を離したほんの数分の間に行方不明になってしまいます。

警察に捜索願いを出してやっとの思いで見つかった時には≪時既に遅く≫遺体で発見されました。

父に続いて母まで亡くして生きる気力すら無くなってしまった三木社長。

それでも当時掛け持ちしていたラーメンアルバイトの副社長の支えもあり、何とか開業資金を調達することに成功、ついに念願の自分のお店を持つようになります!!

その支えになっていた副社長の言葉が『ご両親の分も結果を出してみなよ』

念願のラーメン屋開業と待ち受ける試練

念願叶って開店したものの、思うようにいかず。

そこでなんと、もう一度修行に出るほどの向上心っぷり!!

芸能人も御用達の博多のあるラーメン屋台で1年半修行(弟子が多くて雇うことに難色を示した大将に、他でアルバイトしながら屋台では無賃金で修行することを条件に修行させてもらった)して、もう一度開店し直したのです。

凄まじい執念です…

ラーメン屋を再オープンさせたら博多ラーメンが大ブレイク!!

今ではフランチャイズチェーンも含めて約30店舗!!

こうした体験から、

『ご馳走があればみんな笑顔になれる!ご馳走を作ることは命を作ることだ!』

その手段がラーメンであり、他にも展開している系列店であると語っていました!!

最後に三木社長から講演会参加者だけではなく、この投稿記事の読んでいる方へ間接的に質問します。

『皆さんにとって夢とは何ですか?』

『皆さんは、自分の人生に誇れるものありますか?』