このご時世だから仕方ない⁉ 遊べない人の心理

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こんばんは
悩みすっきりカウンセラーの山本記大です。

10月になりましたが、残暑も続いていますね。
帰宅してからエアコンつけようかどうしようか迷ってしまったくらいです(笑)
結局お風呂から出るまでの間、エアコンをつけることにしました。

今週火曜日に、ノーベル物理学賞の受賞者に、プリンストン大学の上級研究員で
アメリカ国籍を取得している真鍋淑郎氏(90)が選ばれました。

研究者の1日に10数時間にわたる研究を何十年にもわたって研究に打ち込み、
かつその研究の必要性を伝えて研究を続けることは、研究に携わる人々はもちろんのこと、
研究資金を続ける方々の熱意も尊敬に値します。

さて、本日は『遊べない・遊ばない人たち』の苦悩に迫ります。

たぶんこのブログの文章を読むと、
『そんなこと言ってもこのご時世だから仕方ないのでは?』
『いくら緊急事態宣言とかが解除されてもね…』
と思う方もいるのではないでしょうか?

実はそうした心のつぶやき・一般的にはもっともで正しい大義名分が自身や周囲の人生に影響を
与えることがあることを知ってもらえるかと思います。

遊べない・遊ばない人たちの事例①

1人目は『今は子育てに励みながらも整理収納アドバイザーとしても活躍している30代お母さん・A氏』の
お話です。

この方は、小学校高学年になる長男が家でよくTVゲームをやったり外で友達と遊んだりするといいます。
もちろん、長男はお母さんの言うように感染対策に気を遣いながら夕食時間に帰宅をします。
なかなか真面目な子だなと感じます。
そこで僕はお母さんに
『長男の何が不満なのですか?』と聴きました。
すると、
長男が無邪気に楽しそうに遊んでいる姿がイライラするのです。こっちは私に
もしものことがあったらいけないからと子供のことを考えて真面目に生活しているのに。
私の親心はいったい何なのか?と思いたくなる

と答えてくれました。
『率直な話として、自分は遊べていないのに、長男が楽しそうに遊んでいることが不満なのですね?』
と僕が言うと、Aさんは表情を変えて深くうなずきました。

そしてAさんのイライラの正体は結論と言うと、長男への嫉妬心でした。
お話を聴いていく中で、お母さんであるAさんの子供時代にキーワードがありました。
Aさんは小学生のときから両親が経営するお店のお手伝いをしていました。
お店はけっこう繁盛していて人出が足りない状態でした。
そこで娘であるAさんがよくお手伝いをしていたのです。
お客さんからは『感心な子だね。親孝行者だね。』と評判なほどお手伝いしたと言います。

ただ、やっぱり心のどこかで『同級生の子と同じように友達と遊びたい』
思っていました。
そうした当時の感情を『両親のためだから』と言い聞かせて当時の『遊びたい』感情を抑圧しました
そうはいっても人は満たされたい生き物です。
抑圧するということは、何かがきっかけで抑圧しきれなくなることがあります。
きっかけこそが、長男の遊んでいる仕草だったのです。
だからこそ、Aさんは長男の遊んでいる仕草を見て、
かつての遊びたいのに遊べなかった時のことを瞬間的に思い出して
当時の無意識の悲しみや周囲への羨望・遊べなかったことへの怒りがこみ上げてきたのです。
このような心理は『本当は、あきらめきれていなかった』からこそ起こるのです。

僕との1対1の対面やり取りで本当は遊びたかったことを思い出して気がついた彼女は、
しばらく泣いてその場で放心状態になっていました。
さらに感情的に落ち着いてから
『大の大人がゲームで遊ぶことはどう思いますか?』と尋ねてきました。
どうやら『大人=ゲームで遊ぶべきではない』と思い込んでいました。

そこで
『何を楽しんで遊ぶかは自由ですよ。子供からすれば、いつでもお母さんはお母さんですから』
と伝えると、またまた泣いてしまいました(笑)

それからは、子供と一緒にゲームで楽しみながら自分の遊びたかった時の感情を満たすことをしています。
そうやって少しずつ当時の感情を満たすことで人は精神的に安定して成熟していくのです。
当時の満たされなかった感情に気がついて意識して満たした分だけ人生にも影響を与えていきます。

『このようなご時世なのに何考えているの⁉』と批判する人々の隠された心理

今日の感染症が流行している社会情勢の中で、『このようなご時世なのに何考えているの⁉』と
戸惑いと外出する人々を感染の発信源とみなす方々もいます。

それは一見すると、もっともな批判かと思います。
しかし、一見正しいかのように見える批判は先ほどのAさんと同じ心理が隠されているのかもしれません。

批判する方々の心理状態も
『自分は政府や自治体・会社の要請に従って遊ぶことなく仕事以外で外出せずに自粛しているのに、
あいつらは何やっているのだ』
の批判の背後に、密かな本心としては
本当は外出して気分転換にストレス発散して遊びたいのに、抜け駆けみたいなことをしやがって
と嫉妬心や羨望の気持ちが眠っているのかもしれません。

人は時として、
満たされない感情を理由や意味をつけて、できないことを正当化しようとすることがあります。
正当化して批判している限りは、自身の本当の気持ちに気づくことができないのです。
これも
『自分が批判されること・否定されること・笑われること・責められること・恥をかくこと』などを
恐れるあまり、自分の立場を守っているだけなのです。
昔の言葉にこうあります。
『攻撃は最大の防御なり』

何も自分の立場を守ることは誰にでもあります。生活がかかっているので仕方ありません。
社会的立場もあるでしょうから、わきまえないといけないことも確かにあります。
ただし、自分の立場や生活を維持することはできても、それによって幸せになって満たされるかという話は全く別の話です。

Aさんの事例は『あきらめたつもりが、実はあきらめきれていなかった』人の事例です。
この記事を読んでピンとこない人は、
『本当に満たされているか?』 『既に受け入れてあきらめきっているか?』です。
どれをとっても1つの人生です。

自分の立場や生活を維持することは一時の安心でしかありません。
本当に幸せで満たされた人生について考えるのであれば、気持ちに正直になってやりたいことをやってみることがいいのかもしれません。

自分の場合はどうなのか?と思った方のお問い合わせお待ちしています。