『仕事にやりがいなんてない』『仕事なんてそんなもの』が企業に与える影響とは?

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こんばんは
悩みすっきりカウンセラーの山本記大です。

あっという間に年末ですね。
今週は名古屋市中央倫理法人会(https://nagoyashichuo.com/75037/?prev=on)に
2日間参加してきました。

講師として招かれていたのは、『葬儀会館ティア』のCMでもお馴染みの
株式会社ティア(http://www.tear.co.jp/company/profile/company.html)の冨安徳久社長でした。
風の噂で聞く限り、コロナ禍が落ち着きつつある社会情勢で冨安社長の出張する機会が少しずつ
増えるかもしれないと聞いたので、講座を受けるならば今だろうと思い参加しました。

『仕事にやりがいなんてない』
『仕事なんてそんなもの』が企業に与える影響
とは?

世の中には天職という言葉があります。
しかし、実際のところ天職と思わずにはいられない仕事に携わる人はほぼいないのではないでしょうか?
多くは『お金のため』『生活のため』にやむを得ず毎日つらい思い・苦しい思いをしているかと思います。
ノルマ達成への圧力や上司からの叱責、日勤と夜勤を繰り返して体に負担のある職業もあるかと思います。

そこでよく出てくる言葉が
『仕事にやりがいなんてない』『仕事なんてそんなもの』を周囲で聞くのです。
もちろん、本当にやりがいを見出せるような仕事に携わっていても、困難に直面して自暴自棄になって
そう言いたくなるときはあります。

これらの言葉は夢や希望・目標に向けて肯定的に使われるというよりは、
まるで『この嵐が過ぎ去ってくれさえすれば』という展望を見出せない中での苦痛にこらえる意味で使われることが多いと感じます。

だからこそ、多くの社会人は『働くこと=お金を得るためにするもの』と考える人がほとんどです。
そして怒られないように、責められないように、クビにならないように仕事をすることがほとんどです。
まして、日本政府も働き方改革の一環として、労働時間の削減・仕事以外の時間の充実を唱えて久しいです。
企業もメディアもコンプライアンス(法令遵守意識)に徹底しようとする風潮ができつつあります。
労働者の生命と権利を守ることは大切です。一人でも過労死・過労自殺される方がいなくなる方がいいです。

ただ、気になることは無意識で政府や企業も『働くこと=お金を得るためにするもの』という一面的な解釈から脱却できていないように感じます。
この解釈で考えるならば、結局は全て自分がお金を手に入れるために仕事をやることになります。
『利益追求のためならば、やむを得ない。別にバレなければ何とかなる』問題にまで繋がる
可能性があります。
仕事によっては、ケガや病気・事故を伴って人の生命が脅かされてしまいます。

良心的な従業員は心を痛めてその仕事から離れてしまい、残った従業員は生活のため・お金のためと
言い聞かせて心が次第に殺伐としてきます。現実逃避のために周囲へ無関心になる人もいます。
これでは誰もいいことなんてありません。

なぜ『働くこと=お金を得るためにするもの』としか考えることができないのか?

これの原因として、株式会社ティアの冨安社長は
学校生活の段階から『何故だろう?』という疑問に教師・親御さんたちが子供に理解してもらえるように
伝えてこなかったのでは?
と言っています。

両親たちは生活を守るために日々の辛くて苦しい家事や仕事に耐えて精神的・肉体的に疲弊しています。
さらに子供の世話までしないといけません。
子供は大人の事情とか関係なくコミュニケーションを通した愛情を求めてきます。
それが毎日続くのですから感情的になって疎ましく思いたくなる場面もあるでしょう。
そういう意味では、子供の抱く疑問に答えられないのも致し方ない一面はあります。

教師の立場になって考えてみれば、子供の勉強だけではなく、部活動の顧問や職員室での事務作業、
親御さんへの対応など、多岐にわたります。
先生たちも得意不得意がある以上、子供の抱く疑問にどこまで答えられるか?もあります。

例えば勉強1つにしても、『なぜ算数の勉強をしないといけないのか?』の疑問をどのように答える
でしょうか?
〇テストでいい点数を取って、将来的に有名大学に入って有名企業に就職するため?
〇日常生活を送るためには計算ができないと生活に困ってしまうから?
〇将来携わる職業によっては、欠かせない必要な能力であるから?
色々あります。

こうした疑問に丁寧に誠実に答えることによって、子供たちは物事の意味や目的・やりがいを見出すようになり、物事への好奇心・探求心・追求心が身についてどんどん自己成長するようになります。
そして理解できていないこと・上手くいかないことがあっても自分で調べたり、分かる人に尋ねたりして
自分の課題を解決する習慣を身につけていくのです。

逆に子供の抱く疑問を解決しないと、あきらめて『知らん』『分からん』『難しい』『めんどくさい』の
口グセを身につけて自分の課題を投げ出して現実逃避する習慣を身につけていきます。
これではやりがいを見出すことができません。

でも大人の世界では、めんどくさいからと言って現実逃避することは通用しません。
結果として、『めんどくさいけど、やらないとクビになるかも知れないから仕方ないな』というやりがいを見出すことのできないやらされ感で仕事に携わるようになるのです。

仕事のやらされ感から脱却して、
やりがいを見出すためには?

そのために必要なことが、何度もいうように携わる仕事の目的や意味を見つけることです。

『この仕事によって、誰に影響があって誰に喜んでもらえるのか?』

『そう言えばこの仕事は何のために就いたのだろうか?』

について時間がかかってもいいから自分で答えていくことです。
もちろん、自分の生活のため・お金のためも目的として当然あってもいいです。
しかし、自分のためだけであるなら、それは淋しいことだと思います。

人はどうしても満たされないと気が済まない生き物です。
自己肯定感と、他人からの評価(他者肯定感)の両方によって心が成熟するのです。
人は誰もが多かれ少なかれ『認められたい欲求』を持っています。
人に喜んでもらえる体験を通して、仕事にやりがい・意味・目的を見つけて仕事に忍耐と熟練度が
増していきます。
忍耐と熟練度が生まれれば、その道の専門家となって何にも代え難い技術・個性が生み出されて
人生に影響を与えます。
『働くこと=得るものであり、与えるものである』

人は何かしら良くのある生き物で、逆にお金に固執する人間は同じような人物がお金欲しさにやってきます。
必ず最後は俗にいう『狸と狐の化かし合い』で盗っては盗られで、権謀術数にいつの間にかどっぷりハマることになります。
そのような人生は、本当に幸せといえるのでしょうか?