悩みや問題の根本から解決することは、どこまで出来ているのか?

この4年間で気になり始めたことがあります。
『悩みや問題の根本から解決することは、どこまで出来ているのか?』です。

僕は、病院での治療は重症化した時だけお世話になればいいと思っています。
だから、まず病院のお世話になることはないです。
風邪をひいたとしても、総合感冒薬は飲まず症状治癒を助けてくれる漢方薬で対応します。
40度を超える熱・排泄ができなくなるなどの症状がない限りは、まず病院に行かないです。
症状が出ていてもいつまでも続くわけではなく、症状は治るために出ているのです。
下痢はお尻が痛くてつらいですが、排泄することで原因となっている細菌・ウイルスを体内から
出すはたらきがあるので、抑えて止めることはいいことでしょうか?
症状を抑えてしまうのは危ないのでは?と考えます。

総合感冒薬は症状を抑えることはできても、治してくれるわけではないのです。
もちろん、仕事や大事な予定があって断るわけにも休むわけにはいかない事情もあるでしょう。
だとしたら、なぜそんな大事な時に体調を崩すのでしょうか?
大事な時に体調を崩すのは、やる気・元気とかではなく別の要因があると考えます。

僕は、一度として大事な予定があるときに体調を崩したことがないです。
体調を崩すのは、何故か大事な予定がない状態での休日の時です。
休日に体調を崩すので、それで休日が消化されたことは何度もあります(苦笑)

悩み・苦しみは永遠に続くのではなく、治るためにあると今では考えるようになりました。
ただ治ればいいのではなく、できる限り同じことを繰り返さないように
『間違った生活習慣・生き方・考え方』に気づいて修正するために症状が出るのです。

僕自身、好き勝手に食べたいものを食べ、飲みたいものはお構いなしに飲みました。
お酒も好きなので、ベロベロになって二日酔いもしばしばでした(苦笑)
ある時、何もかも上手くいかない時期になったと同時に体調を崩してしまいます。
急に体重も落ちて短期間に7キロ落ちてしまいました。

のちに分かったことですが、
根本的に栄養を吸収しにくい体質で、日頃の生活を意識しないとすぐ体調に出てしまうと
東洋医学の先生から教わりました。この時になって初めて
自分が思っている以上に体は正直なのだな。一般的な病院に受診しても教えてもらえなかった
ということは、よほど重症にならないと処置してもらえないのだな』と
気づきました。

そして『病院のお世話になるときは、重症化してやむを得ないときにお世話になろう』と
決めました。それまでは、食事や運動、睡眠といった何気ない習慣から重症化を防ぐことが
できるのではないか?と認識を改めて今に至ります。
体重で言うと、現在は元通りになって、まだ対応できていない問題に対処しています。
次はMCVが高すぎることによる、息苦しさや胸の痛みの対処が課題です。

このような出来事に出逢ったことで、1つのことに詳しいだけではいけない。
病気1つにしても、その病だけでなく、様々な角度で検証していく必要がある。
それは、仕事も、政治経済、歴史、病気も、食事栄養も同じことであると。

病院の看護師・医師が悪いわけではない。
1つのことしか理解していないことが問題であり、
または診療報酬制度や、国が認めた範囲でしか医療行為ができないことが問題だと。
彼らも生活がかかっていて、医療行為と認められていない対応をしても診療として
認められない以上、患者さんに医療費を請求できないと。
だからこそ、1つの分野・知識に固執している人は別として、医療も政治によって
操作コントロールされていて、本当に患者さんの抱える問題を根本的に対応できているか?
と気づく方も出てきています。僕はその点に希望を見出してします。

これだけ言っている僕も同じこと。
心理学だけ詳しくても、このような認識である以上、今まで通りとはいかない。
心は日頃の習慣が積み重なっているからには、食事や栄養も関係がある。
食事と栄養は、最終的には命にも関係してくる。
ただ長く生きればいいというわけではない。
食事と栄養は、命の選択
長く生きることと、健康的に生きることは別物だと思います。
全く何も知らないで生きることと、適切な情報を基に日々選択と決断を絶えず行って
限りある人生を少しでもイキイキと満ち足りたものにしていくか?。

心のアプローチだけではなく、他の観点から見れる自分になっていきます。