言うことを聞く子供は正常? 高圧的な父と息子の親子関係に潜む心理とは?

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こんばんは
悩みすっきりカウンセラーの山本記大です。

今日は仕事の帰りに外食していた時の出来事をお話します。

ある飲食店での出来事

まずは事実関係からお話します。
個人のプライバシーやお店のことも考慮して、登場人物の名前。店舗名などは省略します。

そのお店は飲食以外はマスク着用をお願いしているお店です。
私は店員に店内へと案内されると、離れた席である父と息子の親子連れが席に着いていました。
どうやら既に食事は済んでおり、父子で会話をしていました。父親は大きな声で楽しそうに会話をし、
息子はそれをまるで死んだ魚のような生気のない虚ろな目で、ややうつむき加減で黙って聞いていました。

私は『この息子さん、まるで死んだ魚のような生気のない虚ろな目で、ややうつむき加減で黙って聞いているけど、怒られているのか?聞こえてくる会話からして怒られてはいないようだ。それでは何が息子さんをこのようにさせているのだろうか?』
と気になり関心を持つようになりました。

そこに、店員Aさんが
『お楽しみのところすみません。店内では飲食以外ではマスク着用の上で会話をお願いしております。
マスク着用をお願いします。』とその父親に指摘をしたのです。

すると先ほどまでの楽しそうに会話していた時と一転して
『マスク・マスクと人が楽しく会話しているのを邪魔するな!うっとうしいんじゃ!とっとと消えろ!』
と怒鳴り声をあげました。

それでも店員Aさんは落ち着きながらも毅然として
『これは他のお客様にもお願いしていることです。また、大声を出すことはご遠慮いただけますか?』
とお声がけしました。

この対応が火に油を注いだのか、
『俺にそんなこと言う暇があったら他の仕事をしろ!まるで俺を狙っていたかのように声かけやがって!』
とますますヒートアップしました。

困った店員Aさんはすると店員にだけ聞こえる内線で責任者と思われる人物を呼びました。
責任者と思われる人物Bさんが登場し
『お客様いかがしましたか?ご事情を伺います』と父親に尋ねました。

父親は
誰じゃお前は?この店の責任者か?誰が責任者を呼べと言った!呼んどらんわ!そこのクソガキ、さては告げ口したな⁉俺は責任者に用はない。とっとと持ち場に戻れ!そんなにマスク・マスク言うなら四六時中ずっと客全員を監視して警察官みたいに取り締まれ!呼んでもおらん責任者を出して対応させるとは、どういう店だここは!ここは人材教育がなっとらん違うんか?俺はこれでも社長だぞ!俺の会社ならこんなクソなことにはならんぞ!
と散々罵声を店員Aと責任者Bに浴びせていました。

困り果てながらも責任者Bさんは
『そのようにお怒りになる理由について教えていただけますでしょうか。』と尋ねました。
すると、
呼んどらん奴に教えることなんて無い!この店の経営コンサルタントでもないのに教えてやることなんてないわ!今から帰るからとっとと会計させろ!指摘するならもう少し小さい声でしろや!このクズ野郎!
とここでも店員たちに罵声を浴びせて息子さんを連れて帰りました。
騒動が終わってからはまるで台風一過のようでした。

この騒動から見えてくる父の実像とは?

まず怒鳴り散らしていた父親から順番に見ていきましょう。
この父親が何故ここまで怒り続けていたか?です。

それは『思い通りに楽しくしゃべっていたのに、店員に邪魔された』と思い込んだからです。
思い通りにしたい欲求と、楽しみたい欲求を満たすことができなかったのです。
これで烈火のごとく怒りだしたのです。

もう1つは『最初に声かけた店員Aが意図的に自分だけを狙ってマスク着用について指摘した』と、
まるで悪意があるかのように感じたことです。

父親は『自分の思い通りにならないことがあると、他人に悪意があるかのように邪推して感情のままに
怒りを発散してクソ・クズなどの言葉を用いて人格攻撃する
』性格だということです。
しかも介入してきた責任者にも攻撃する有様なので、もはや狂犬(狂犬は感情・本能のままに
誰にでも噛みつく)です。

さらに『俺は社長で俺の経営する会社ではこんなことは起きない』と言っているので、
お前らは大したないと攻撃しながら、いかに自分が尊敬されて当然の人間であるかを誇示しています。



通常、たとえこのように思ったとしても礼儀作法やエチケットで言葉として言うことはないです。
それを公衆の面前で言うということは、礼儀やエチケットはあまり関心を持っていないです。

家庭は外と違って他人からの評価評判や世間体を気にしなくていいので、ある意味、
本当の自分が出てきます。
家庭ではもっと頻繁に家族に暴言・人格攻撃をしている可能性が高いです。

その証拠として、父親と同席していた息子さんがカギになります。

 

同席していた息子さんの実像とは?

今度は同席していた息子さんに着目していきましょう。
冒頭で私は息子さんの第一印象について、『息子さんはまるで死んだ魚のような生気のない虚ろな目で、
ややうつむき加減で黙って聞いているように見えた』と言いました。

父親が会計するために怒って席を立ったときのことです。立ち上がって歩こうとする息子さんは、
肩を丸めてすぼめながら歩いているのを目撃しました。
父親の横柄で傲慢さが感じられる大手を振って少しガニ股ぎみに歩くのとは対照的でした。

息子さんの死んだ魚のような生気が感じられない虚ろな目と肩をすぼめて歩く姿勢は、
何かをあきらめて、抑圧され続けてきた(今も抑圧されている?)結果』ではと考えます。



もちろん、息子さんが先天的な障害を背負われているケースも一応考えられます。
そうでないならば、今までの人生の積み重ねの中で作られてきた習慣がそうさせています。

子供は、小さい頃は大人の力を借りなければ生きていけません。
そこで子供は無意識のうちに親の機嫌を損ねないように親が希望する期待通りの立ち振る舞いを
することがあります。これを演技といいます。
この演技をする中で、何が許されて・何が許されないのか?をかぎ分けて
やりたいこと・言いたいことをあきらめていくことがあります。

すると、やりたいこと・言いたいことが出来ないので子供ながらに不機嫌・不愉快・悲しみ・怒りを
持つようになります。
しかし、そうした隠れた本心を出してしまえば親の機嫌を損ねて何倍返しにされたり、見捨てられることを恐れて自分自身の本心を抑圧して、あくまで親にとって思い通りの期待通りの自分になりきろうとします。

『うちの子は人の言うことを文句一つ言わずに聞いてくれて子育てに手がかからなかった。
自慢の子供です。本当にいい子なんです。』という場合は、それは親の子育てに手がかかるか?だけで
物事を見れば、それは良かったですねとなるかもしれないです。

実際の子供の本心はいかがでしょうか?
その答えは子供が成長して少しずつ自分の力で生きられるようになってから分かります。

まとめ

そこで今回の話題の中心人物である父親と息子について今一度おさらいしましょう。

父『自分の思い通りにならないことがあると、他人に悪意があるかのように邪推して感情のままに
怒りを発散してクソ・クズなどの言葉を用いて人格攻撃する。
お前らは大したないと攻撃しながら、
いかに自分が尊敬されて当然の人間であるかを誇示する性格


家庭では、会社をはじめ外以上にもっと露骨である可能性が高い。

息子『息子さんはまるで死んだ魚のような生気のない虚ろな目で、ややうつむき加減。
これは、何かをあきらめて、抑圧され続けてきた(今も抑圧されている?)ことを表している』
(先天的に障害を背負われている一部のケースを除く)

ここから見えるのは、高圧的な父に逆らうことが怖くて、
親の期待通りに唯々諾々と言うことを聞く生き方を強いられてきたのではないか?と考えます。
ある意味で父が加害者、息子が被害者という構図が浮き彫りになります。

どちらも根本的に愛情に飢えていることには間違いないです。

このようなケースの場合は、既に心療内科などで治療を始めていることも考えられます。
食事に連れてきたのも、色々な場所に連れていくことで少しでも元気になってもらいたいという親心から
来ているかもしれないです。あるいは父親なりの罪滅ぼしかもしれません。

しかし、息子さんは抑圧された結果として何か大事なものをあきらめてしまったことでしょう。
それが何であるか?に息子さん自身が気づき、そしてあきらめたものを手に入れようと思わない限り、
根本的な回復は難しいでしょう。

動機(欲求)は生きる原動力です。私たちは、大人に成長するにつれて人生は思い通りにならないことが
あり、人はお互いのことを思いやりながら生きていることを勉強します。
ところが、あまりにも抑圧されてあきらめてきたものが多すぎたり大きすぎたりすると、人によっては生きる言動力そのものを捨ててしまうことを場合があります。生気がなく虚ろな目は、如実に物語っています。